猿丸安時(さるまるやすとき)と奥池

阪急芦屋川の北にある開森橋(かいもりばし)の東詰に「猿丸安時頌徳碑(しょうとくひ)」があります。昔から、芦屋地方の村々は日照りが続くとたんぼや畑の水不足に悩み、水の争いがたえません出した。そんなとき、芦屋村の村長であった猿丸又左衛門安時(さるまたまたざえもんやすとき)(1828〜1880)がこのような争いをやめさせるため、芦屋川の上流にある奥山にため池を造ってこれを防ごうとしました。 そして、20余年の苦心の末に奥池は出来ました。このことは水の不足に悩む村人達に大きな励みとなり、人々は安時の功績を讃えました。碑(いしぶみ)はこれら安時の功績をけんしょうするため後年に建てられたものです。昭和になって、住宅が増えると共にたんぼや畑が少なくなりましたが、奥池の水は昭和47年にすぐ南西に造られた貯水池と共に飲み水として今も芦屋市民の暮らしに大変役に立っています。 猿丸又左衛門安時(1828〜1880)は奥池を造っただけでなく、幕末から維新にかけて18か村の総代庄屋をつとめ、幕府や県令からしばしば表彰されている。 安時の墓は阪急芦屋川駅から東に約100メートルの沿線ぞいの猿丸家墓地にある。