会下山遺跡(えげやまいせき)

阪急芦屋川から川に沿って登り、開森橋をすぎて「左滝道」とある道しるべから左の住宅に沿った道を行くと、左に山手中学校があります。遺跡は中学校の裏山にあって、海面からの高さが200メートルあり山上から芦屋の町や海が良く見えます。遺跡は尾根を中心に広がっており、高床(たかゆか)の倉庫の復元や手で触れる模型もあります。大きい円形の住まいの跡は芝生で覆われ、まわりには柵がしていますが、それぞれに案内板があるので、昔の様子を思いおこす事が出来ます。会下山は今から約2000年昔の弥生時代(やよいじだい)の遺跡で、見つかったのは昭和31年で山手中学校の生徒達が会下山への登り道で野外学習をしていたとき、崩れた土から赤茶色のたくさんの土器のかけらを見つけたのがきっかけでした。
それから、2年後考古学の教授や生徒とともに山手中学校の地歴部の生徒も加わって、毎年のように夏休みに発掘が続けられました。土器や石の道具、住まいの柱穴跡を見つけては中学生の歓声が湧いたそうです。
およそ2000年前の弥生時代は大陸から米を作る方法が初めて日本に伝わった為一つの土地に住みついて暮らすようになりました。しかし、なぜ会下山の人々は食料や水にも不便な山の上で暮らしたのでしょうか。文字もなかったそのころの日本の様子は中国の歴史の本に「日本の国は大いにみだれて」と記されていました。
食料が豊かで住み良い土地を求めてあちこちで争いがあったと言われています。会下山の人々は厳しい暮らしに耐えて家族を守っていたのではないかと想像されています。山を下りたのは平和が訪れてからなのでしょう...